サイコパスおじさんは見てみると面白い


なぜ敬語なんて使う必要があるのか? について切り抜いてある回。

なぜ敬語は使わなければならないのか?

「反論を20個くらい考えてみようよ」ってのが面白かったな。
 自分もそんなに沢山考えてみた事はなかったし。「考えてみた経験」ってのが大事なのよ、きっと。

敬語については自分の今までの経験からも、考えてみた経験はいくつか積んできた。

いろんな切り口があって、それぞれ、その時々ではっとさせられるような事があった。一つは、「日本の文化は、情報の流通を重視する社会にするため、『社会階級』を取っ払った、という件。出来るかどうかわからないけど、超簡単に書くと・・・。日本は、沢山の人が楽に生活できるように、アイデアをこらして農園を作った。水路を巡らして田んぼを広げたという時代があり、それ以前にはドングリ畑ってのも作った。一億年くらい前だとも言われる。そこで作ったドングリで、職人が食べる。昔の人は狩りで動物、採取で植物を取ってこないと食えない。それに時間がかかる。ところが、ドングリ畑のお陰で仮に出なくても、一日中作業に専念できる人が登場した。曲玉(まがたま)というものがある。翡翠(ひすい)なんかをカシューナッツみたいな形に削って整形し、穴を開けて紐を通し、首飾りなどにする。これをつくるのに、せっせと磨き続けて一個一月以上かかる。これが昔の高価な宝物とされてたらしい。曲玉職人はドングリ畑のお陰でその作業に専念できた。という事はつまり、曲玉を沢山持ってるって事は、沢山の職人を抱える事が出来て、それだけのドングリ畑も広がっていると、そう言う社会なのだ。

その社会では、情報流通が意味を持っている。磨く時に使う磨き石には、どの地方で取れるこんな石谷伊代などと言った『情報』が、職人同士に限らず、色んな人が情報交換できた方が良い。
 殿様みたいな偉い人と、乞食みたいな下賤(げせん)な人とも話が出来た方が良い。なので、言葉も共通にしてあり、身分が違っても口がきける社会がいい。ここで、世界はどうなってるのかも知らないといけない事がわかった。カースト制度の事は検索して貰う事にして、身分が違うと口をきいてはいけないなどという掟があるらしい。社会が進化して、貧富の差が生まれる事によって、身分の差が発生したなんて説明があったりもするようだ。だが、日本の場合、社会が進化したら、身分の差が発生などせず、楽に喰っていける人口が増えたので、その代わりに『職人』が発達していったというまるで違う展開なのだ。

ここの違いのあたりにも、面白い事を言う先生がいます。田中英道氏。ざっというと、ユダヤ人が関係する。ユダヤ人の知恵や性質が、ねたみ心などで人心を操縦して社会を変質させるといった話が有名なのだけども、実は日本にも入ってきていて、ユダヤ人の方が日本に同化して、ユダヤ人の発想が日本にも入っているということを言う。しらす国家とウシハク国家の違いなんて話がある。

https://shakai-chireki-koumin.net/mahoroba-shirasu-and-ushihaku-the-government-of-japan/

ページの中程に、「シラス」と「ウシハク」という国を治める2つの方法の比較、ってのが出てきます。
シラスってのは、統治をするという事で、ウシハクってのは領有するってこと。
 この違いは少し頭を使うので、時間のある時に是非考えて貰いたい話。
 この発想の違いですが、これすらも、私が一寸考えるに、億年という長い単位で人類が歩んできた歴史というものがあって、一人の殿様みたいなものが国を領有しても良い事はないので、「シラス」のやり方が良かろうってアイデアを出したのではないか? って事を考えます。先の♨屋人の発想で言えば、領有し殿様になるための知恵はあれこれ持っているけど、日本に来て日本人に同化したついで、領有するための知恵を持っているが故に、領有させない知恵も出せたのだろうし、そうやって天皇を補佐した♨屋人がいたのだろうか? なんておもうわけです。

・・・などと、日本では身分制度はなくされてしまったが、「言葉の上では表す」ってのが残っていると。このへんが「知恵」なのかもしれない。

こんなことを考えるわけだけども、日本はどうも西洋の考えが入りすぎてしまって、日本独自の文化や考え方を研究する人も不足し、そして教える人も少なくなって、滅んでいく方向に進んでるような感じがする。

共産思想を考えたマルクスという人がいて、内部から破壊しろと言ったらしいが、全くその通りの事になっている感じ。

先ほどのシラス国の事だけど、戦前の大日本帝国憲法だけど、第一条は

第一條大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治
となっている。
この意味は、日本国を統治するのは天皇である、と言っている。草案(原文のもと)では「統治」のところが「治ス」(シラス)となっていて、伊藤博文が「治ス、なんて書いても、言葉が古くて、今の人は読めない人が多いだろうからと、漢語表現的な統治に変えたと、物の本にはある。
 シラスは、ウシハクに対しての言葉でもあるわけで、領有ではないよ、ということでもある。日本の、実に重要なポイントが、憲法第一条に持ってきてある。

現在の日本国憲法ではどうなっているのか?
日本国憲法。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
統治の事が吹っ飛んでいて、それをするのは天皇だってことに・・・・なってはいない。国民主権って事を割り込ませたいから、天皇は「象徴」ってなってしまっている。
日本は戦争に負けてしまって、主権がなくなった期間があった。占領時代。7年半。この期間に出来たのが日本国憲法。占領されているので、国会も正式に物事を決める権限がない。ないはず。今の防衛大学の歴史研究では、占領期に決まった日本国憲法は効力を持っていないのでは?なんていってるらしい。なんせ、「原文が英語」なんですから。占領軍が作ったのが見え見え。
 主権在民って考えが割り込ませてあるけども、日本は元々官民一体。シラス、ですから、領有ではない。政府側も国民側も一体なので、身分的違いがないわけで、占領期から主権在民って考えろという思想が入ってきてしまっている。
 おかしな事になっています。
 占領したGHQも、シラスの意味がよくわかっていなかったのでは?とかんがえられます。とにかく、世界中、戦争に負けて軍事政権にさせられた負けた側の国は軒並み主権在民ってことにされていますから、日本もそうなった。
 7年半後、主権回復で独立国になった時点で、このへんを整理しておくべきだったという人がいますが、私も賛成です。

まぁ、とにかく、敬語は使わなければならないのか?って問題は、ここまで考えるほどに、厄介な問題。日本は元々どんな国だったのでしょう? それと同時に発達してきた敬語、簡単には無視できないわけです。


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