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小学生の不登校児、今や25万人


小学生の不登校児が25万人に達してるらしい。これは、明らかに教育政治の失敗ではないのか?昔はこんな事にはなってなかったように思う。最近耳にした。戦後教育が改悪されたのは知っている。戦後教育だの戦後民主主義だのと言われていた。そうやって学校に興味がわかない子が増えていってたのは確かだと思う。それが引きこもりになって行って、四十代の大人がひきこもりで、親の収入のすねをかじって生きている人が三万だか五万だかいるという話だったはず。
 昭和、平成、令和と確実に教育が悪化している。
 教育は、GHQの日本弱体化政策の一つ。今になってどんどん「効いて」来ているのは、GHQが教育改悪に乗り出した頃は、世の中の大人は戦前の教育を受けていたので、自然と戦前のやり方やら雰囲気やらを続けていたから急には変わらなかった。ここ十年、二十年、一気に悪くなった感じなのは、戦前教育を受けた人、雰囲気を知っている世代というのが80代、90代になってきて、そのほとんどが鬼籍に入ってしまった(しんじゃったということ)から、頭からどっぷりGHQシャワーを浴びた人が今度は学校の先生になって変な教育をして、その変な教育で育った人が大人になって、また更に子供らに変な教育をやりだしたと言うことなのだと思う。

GHQの問題は、今世界的に話題になっている、左翼系共産主義の政治家などが各国の文化を破壊している問題と根本が同じだと思う。
 アメリカも左傾化がひどく、ヨーロッパもひどく、世界は破壊されてしまった感がある。

私がこの辺のことをはっきり自覚したのはこの本のおかげかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AF%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82%E3%80%8C%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E6%80%9D%E6%83%B3-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/458413796X
元々政治に疎い私は、右翼、左翼、リベラルなんて言われても、意味がわからなかった。そこへ、チャンとした知識を注入してくれたのがこの本。

リベラルというのは、中身はマルクスの言い出した共産主義。文化の破壊や伝統的価値観の破壊で革命を目指すというもの。革命して文化をぶっ壊した後はどうするのかと言うことは一切行っていない。ただ、破壊するだけ。こう言うこと。

フランスもアメリカも、古き良き伝統というのはすでにぶっ壊されて、ひどいことになっている。日本もサムライが羽織袴で生活していたような文化はすでに無い。白人のまねごとのように成り下がっている。

この構図が理解出来ると、世界に対する理解度も急激に深まると思う。

最初の話に戻って、小学生の不登校児が25万人もいるのだといったら、「それはそうですよ」って相づちを打ってきた人がいた。
 わわわ、ここにも政治的話題がわかる人がいたのかと思ったが、それは違った。
 「それはそうですよ。学校なんて、行きたくなきゃ行かなくていいものですから」と、その人は言ったのだ。行きたくない人が学校に行かなくてもいい世の中になってきた証拠で、25万人もいるのだという理解らしい。

今、教育の世界も、「モラルの世界」も、共産主義者によって破壊されてしまった。
 学校なんて、行きたくなきゃ行かなくてもいいと思ってる人が増えたのだ。

「そしてですね、忘年会だのなんだの、強制したらハラスメントになるっすよ」
 ということらしい。
 何でもかんでも、強制するのはダメで、自主的な考えが尊重されるだというのだ。

みなさんのお昼ご飯を紹介するテレビ番組がある。新潟の方だったか、刃物で有名な街。後継者がいなくて、刃物の文化が途絶えるのももったいないと言うことで、「弟子を取って育てる」という事業に補助金が出る制度があるらしい。その制度を使って、高齢の職人が初めて弟子を取った。
 60代かな?って人が、20代前半の弟子を取っている。あと、補助金は三年ほど続くというような状況。
 さて、その番組、お昼ご飯の様子を紹介する番組。12時が鳴りました。師匠は自宅へ帰り、奥さん手作りのお昼を頂く。弟子はそこへお呼ばれするのかと思いきや、職場を出ると、師匠の家とは反対方向の自分のアパートへと向かう。手作りの焼きそばを食べる。
 「師匠と一緒に食べないんですか?」
 と、リポーターから聞かれたその若い弟子は、
 「一緒に食べる必然性はないですので」
 と、答えた。
 そこには、昔の日本なら誰でもが理解した「同じ釜の飯を食う間柄」などと言った、人々の精神的交流は内容だった。
 それは良くないのではないか? 伝統技術なんて特に、「伝承」文化は、同じ釜の飯を食う間柄でないと、伝わらないのでは? 「一緒にお昼を食べる理必然性など無い」と言い放つ若者の考えは、特殊なものではない。

私がよく見ているというバーテックスのライブ。そこでの話。井氏がお昼ご飯食べに行かないと聞かれて「なんで?」って答えた話がとても面白かった。沼氏がすかさず
 「おまえなぁ、そんなこと言ったら『友達なくすで』」
って言ったのだった。言われた井氏はきょとんとしたまま「なんで?」といってるw。つまりは、「お昼を食べる理必然性などない」のだったのだろうw。

日本の文化というかモラルというか、ずいぶん変わってしまったことを感じる。
 これは絶対「戦後リベラル」がもたらしたものだと思う。


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