チャウチャウ、ちゃうんや。つべにわがまま言おうという気はないよw


夕べのライブで、沼氏がブログ見てくれたみたいで、「山田さん流をやりたい、ゆー訳かな??」みたいなことを言ってたので、誤解がないよう強調しておくけど、「私流をやろうって訳は一ミリも持たない予定」でーす。

昭和の時代村田英雄(演歌歌手?)っていて、ライブ(演奏)の時、「お客様は、神様です☺」ってセリフを言って、大変話題になった。そのとぉりです!! みたいな。
 建築関係の世界では、お客様のことを施主という。これも現場で聞くのはせしゅと言ってるのを聞く。YouTubeの動画を見てると、建築関係のYouTuberが「せぬし」と言ってるのを見た。これは先輩や同業他社から直されたりするのかもしれない。しかし、私の立場としては、これからYouTuberから「お仕事を頂く立場」なのであるから、お客様は施主、元請けさんは神様なのだから、文句を言ってはいけないのである。

前の会社を辞める前くらいのタイミングで、SNSも盛んだった頃、スチールカメラが好きな人と知りあってインスタもアカウントをとって少しやりとりがあった。SNSでカメラを始めてSNSで育ってきた? みたいな人だった。
 その人と意見が合わなくて、結局今付き合いはない。
 なんの意見が合わなかったかというと、画像に対する考え方が違っていて、どうにもなじめなかったから。
 オレもそいつもバイクの走行シーンを撮る。その時、「画面が水平ではない」のだ。平らなところをまっすぐは知ってる状況で、地面が画面の中では左下から右上になっていて、バイクが坂を上ってるみたいに撮るのだ。撮ってる側はいわばニュータイプみたいな物で、たぶん「その方が画面いっぱいにバイクが映る」からそうしてるのだろう。で、SNSではそういう画像があふれている。「?」って思った私は、ヤマハ発動機のHPへ行って、画像をいくつか見てみたら、そう言う撮り方がされている画像があった。そのヤマハのHPの斜め画像を撮ってるのは、プロカメラマンで、プロフィールも載ってて、自身のお仕事ではそう言う撮り方をされていたと思う。なので、販売物も(ヤマハが販売してたかは覚えてない)年間カレンダーみたいな物に乗せてるバイクも、水平が撮れてないというか、地平線が斜めになってるバイクの画像だった。

もう新しい時代なのかもしれない。
YouTubeで見る動画も、「新しい波」が来ていて、新しい撮り方がされている。広角レンズにグッと寄って、レンズの軸方向が水平ではない(と言うことは、ちょっと極端目に下を向いたり上を向いたりしているのだ)映像にあふれている。一つの理由は、フタ部分の上部に付いたノーパソの内蔵カメラを使ったテレビ会議などの動画や配信。東北大震災の時に、「原発の監視カメラに向かって何かを言う作業員」みたいな動画が話題になったが、そう言う感じの画角、映像があふれているのだ。
 今活動を注目しているビデオグラファーなる事を提唱し、スクールを開催している人がいる。その人は、「見ることは大変勉強になる。映画なんか、珠玉の技術がいっぱい詰まってるから見た方が良い」みたいなことを言ってる。

YouTubeのビデオグラファーの集まりがある

ここから行ける。タイトル画(YouTubeでは、タイトルのサムネと言う画像を自分で作ることも出来るらしいし、それが作れないとダメらしい)でも少しわかるが、「今までの 映像ファン の理解している法則」とは少し感覚が違う。
 北海道が好きなんだよ ってテロップがあるが、大概北海道でイメージするのは広い大地。空も広く移し込むし、大地も広がる。そしてその地平線は、フレームの中では水平になっていないといけない。いけないというのは、誰が決めたのか? その方が人間の視覚に撮っては自然だし、「真っ平らで水平だな、この景色は」という感覚は、動物の本能の判断だろうと思うから、それに沿ってないとみてて不自然だったり不安感を呼び起こしたりするだろう。その本能に会わせる方法が、映像100年の中で作られてきた法則であって、誰が決めたのではなく、それが普通という感じになっている。傾けて写すのは「それなりの理由がある時」なのだった。カメラが発明されて、動画が撮れるカメラが始まって、かれこれ100年だったのではないかな? その100年の蓄積の中でだんだん法則が確立していった。その映像を見る側のファンとしては、そう言う理解をしている。

ところが、全く無視して、というか知らずに? やっぱり知った上で無視して? どっちか知らんが、「いかにもYouTube」という映像が、YouTubeの中では普通なのだ。

このさっき乗せたYouTubeのサムネを見てもその片鱗は出ている。ややカメラの向きが下なのだ。そして、カメラの「高さ」も高い。こういう変化を付ける時は、なんかの意図がある時なのだが、実はないのがYouTube流。
 スクールでの様子が紹介されている。そこに出てくる動画はYouTube風の映像になっている。

今までのやり方を正道流とすれば、例えば一つはMHKの新日本紀行ではないかな?
動画の3分過ぎから子供が映ってくる。カメラマンはしゃがんで、子供の目線の高さまでカメラ位置を下げて写している。また、「やたらワイドな画角ではない」映像で全部出来ている。
 カメラは16mmフィルムを使ったCマウントの手持ちカメラなのだと思う。そのハンディーカメラを使って、MHKの映像取材班みたいな感じのところが作成、編集して番組になってると思う。
 YouTubeには朝日新聞社の映像取材班ってところが、映像のイロハを紹介している物を見つけた。たぶん「古い考え方の王道的な普通」が解説されていると思う。出来た映像は、古い考え方と言うことになるのかもしれない。
 つべには、以外と沢山新日本紀行が乗せられている。タイムスリップするために私も見てみようかな?

で、話は戻るが、そのスクールの人たちはYouTube流のやり方でやっている。講師のDAIGEN TVさんも、自分のYOUTUBEチャンネルでは、「つべの中では違和感のない、ふつうのYouTuberの仲に溶け込んで、YouTuberの一人として発信している」。

こういう使い分けが出来ないと、YouTubeの仲では生き残れないのかもしれない。
 私は、我を押し通してはお客様からハネられるのを見てきたし、新しい友達と今では絶交してるわけだから「すでに学習」したのだ。
 だから、YouTuberではお客様は神様です、を思い出すまでもなく。「なかよくしてね」というスタンスでいかねば。

 映像制作の世界では? お客様を クライアント とか言ったりするようだ。
 DAIGEN TVでも、「映画はお手本が詰まっている」みたいなことを言うけど、見方を変えて、万単位の登録者がいて、再生数もおおい「YouTuber」が、映画はお手本と言っていて、「YouTubeと映画は違う」と言うことを言ってるにひとしいのでは? と言う気がしてきた。

私も「今まで見てきたり聞いてきたこととは違う」と言うことをよく自覚して、新しいことも理解しようと思っているのだ。って訳で、この原稿は終わりにしよう。


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