間の演出とか、他人はまねするの無理だろって思う理由


撮影を考えると簡単。同じ絵を撮ってきてと言って、他人に撮影して貰ったら絶対うまくいかないと言うか、自分と同じ絵を撮ってくることはまず考えられないことを考えると、殆ど同じ事が言える、「同じように間を入れたトークをしろ(と言う演出で編集して)」が、無理なのはわかる。

昔深夜番組で有名になった? アラーキーこと荒木経惟という写真家にはまっていた頃、あれこれ撮影の壺を盗みたくて、見まくったり読みまくったりしてた時があった。その中の1つに、「俺がこうやって指示して撮影した助手の写真は、俺の写真」と、かれ一流のジョーク的言葉であるのだけど、それがジョーク的言葉なのは、絶対同じ絵を撮ってくるわけがなくてそれが面白いし、時としてはっとさせられたり、何らかの刺激があるから言ってたのだった。

まぁ、完全にルールや原理を抜き出して言葉化しておいたり、あまりにも明快な場面、例えば机においたリンゴをとってきてみたいな物だったら、それは可能。報道映像なんかもそうかもしれない。新聞社のカメラ部で、これは誰が撮ってきた映像か? ってのがわからない場合はあると思う。でもよく見ると、このパンのやり方の癖とか、このあとこのサイズの絵を押さえてあるみたいな物とか、その撮影者特有の個性が出てれば、判別可能かもしれない。

間の場合、同じ物を模倣すると言うより、なるべく特徴を捉えて自分が演出してしまった方がいいのかもしれない。
 Uさんの、商品紹介などの動画で、商品のスペックや特徴を説明するメーカーさんの映像に、スペックの特徴、数値をしゃべるタイミングでピロンと音を入れたり、営業さんが押しポイントを自身の言葉で付け足すなんて時に太鼓の音を入れたりを見ていると、自分にない発想で入れていたりして、結構沢山「あら」って思うことが多いのだ。
 文章で言う「ゲラ」を作って下読みして貰い、修正ポイントを出して貰って修正するような事をして、なるべく第三者が「いつものUさんと、ちゃうやんけ」って違和感を持たれないような編集をせねばならんかなぁと思う。


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