人間の視野が持つ特殊な特性の話


動画を撮ってみて思い出したことがあった。2つ書こう。人間の視野の特殊性と、左脳は言葉で考え、右脳は直感的に考えるという話と。少し言い直せば、言葉は左脳で理解し、右脳の体で覚える。

動画のカメラを左右に動かして別な物を写すことを「パン」(する)と言う。まず左の人(人物A)を写し、カメラと左の人が立っているのと同じくらいの距離で90度横にも誰か立って貰う(人物B)。左の人がしゃべり終わったら、ぐるーっと90度分右回転して次の人(人物B)にしゃべって貰う。この間カメラは回し(撮影)っぱなし。
 すると、人物Aがしゃべり終わって、後ろの人物Bにカメラが向き変わる時の映像は、色んな物が右から左に流れて移って、人物Bが見えてくる。カメラと向き合ったら、動きは止まる。

人間の目で、カメラの位置に立って、これを見てみる。横にいるのだから、体は向き直らなくても、右の方を見ればいいかもしれない。首を回すと同時に眼球もきょろっと動かすだろう。

このとき、見える視野は、「自分の目直接で見るのと、カメラが撮影した映像を見るのとは違う」のだ。どこが違うのかというと、「人間は、眼球運動の最中の映像は、シャットダウンして脳の視野としては残らない」という性質がある。
 カメラの映像では、右から左へ移動する背景の映像が映し出される。

人間の視野というのは、眼球の網膜というフイルムのような物に映った像は、「視覚処理野」という「映像処理エンジン」で処理され、脳の、視野を関知する部分に送られる。この映像処理エンジンは何段にも積み重なっていて、色んな処理を受ける。この処理は重い処理になる。この処理に影響を与えないように、眼球を動かすことによって目に飛び込んでくる「流れる映像」は、映像カットになっていて、カット中は、カットされる直前の映像が残るようになっている。
 つまり、映像カメラで撮った画像を、人物Aから人物Bにカメラを振ってる最中の無駄な映像は、動画編集ソフトでカット処理されるような物なのだ。

人間は元々、眼球運動の最中の映像をカット処理するようになっていて、「流れる映像」は見ていない。だが、映像カメラで流れる映像が映ってるときは眼球運動をせずに流れる映像を見てしまうわけです。この流れる映像は、映像処理エンジンにとっては、「全く意味不明」なものです。なので、映像処理エンジンはオーバーフローを起こし、エラーを出すでしょう。これがつまり「カメラ酔い」「めまい」に繋がるわけです。

この性質があるのを逆手にとって、適度に「あぁ、これはカメラが動きますって言う『模様が動くような効果映像ね』、みたいにして、上手な速度で流れる映像を「アドビ・プレミア・プロのトランジション映像(効果)」の用に利用するというテクがあるのではないかと思っている。というか思っていた。
 と言うわけで、「常時使う画角は35mmフルサイズカメラでいう50mmレンズ」を常用するようにしている。この画角で撮れるレンズのことを、スチールカメラでは長いこと「標準レンズ」として扱っています。

コンパクトカメラと言われていた、一家に一台揃えられていたカメラは、大概35ミリレンズで、30ミリや28ミリ相当の、ちょっとワイドなレンズが付いてるのが普通でした。


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