LGBTについて、小坪しんや氏のブログを見てみた。
なるほど、自民党の議員としては、法制化に反対なのか。以前のヘイト法への反省もある、と、ある。
難しい事はわからない。
でも、思うのは、アメリカはじめ、すっかり文化破壊が進んでしまった世界であるので、日本もこれ以上文化が失われるのは勘弁して欲しい。
恒例のライブ配信でも、ちょっと似た議論?があって、私は「男は度胸、女は愛嬌の新の意味」って事で、書き込みをした。
昔読んだ、養老孟司氏のエッセイがネタ元になっている。
曰く、女はおてんばに、男はおとなしく無口になってしまうものだから、子育ての時は積極的にそう言う教育をした方がいいよ、と言うことらしい。
つまり、男は男らしく、女は女らしくという事であって、パヨクと言われる人たちが散々反対していた男尊女卑、これは差別だという意見に押し出されてしまう形。
現在は、こういう考えは全く否定される風潮になっている。これが、日本の文化破壊だと私は考える。
小坪氏は、法制化は危険だとおっしゃる。
私は、「日本はすごくいいアイデアを持っていたではないか」と考える。
つまり、教育勅語のアイデア。
ざっと話すと、明治維新で外国の個人主義が入ってきてしまい、日本式の社会主義的な精神がぶち壊された。それを危惧して、明治天皇が日本の国体を復活させるべく、教育勅語を賜れたというわけ。
これは、法律ではない。法律ではないから、罰則もない。
モラルとか、日本の精神はこう言うくらいの柔軟な運用をしないと、窮屈になってしまう。天皇陛下の勅語である。本当は、勅語ではなく、単にお話を下命されたという位置づけらしい。
こういう前例がちゃんとあるのに、敗戦で占領されたことを契機に、教育勅語は、軍国主義であり、軍国主義は犯罪だという占領軍の日本破壊計画にまんまとはめられて、禁止になってしまった。
主権回復を果たしたあと、国会であれこれ名誉の回復があったわけだけど、GHQの置き土産であるマスゴミとか、あるいは公職追放でトコロテン式に入ってきた昔のアカの人たちによって、軍国主義復活反対の 作られた 世論のせいで、過去の資産を生かされてはいない。
と言うわけで、LGBTなんてほっておけばいいのだ。
ほっておけばいいのはちょっと前提条件があって、教育勅語式の知恵が社会の常識になっていること、なのだけども。
こうした調子の議論が叩かれずにクローズアップされるのであれば、しっかりした日本が戻ってくると思う。
まぁ、現状のMHKなどの調子を見てると、それは高望みでしかないかなぁと思う。総理の、秘書官更迭などを見ると。同性婚は見るのも嫌だというのが理由だったけど。そう発言して何が悪いのかと思う。本能的に嫌だというのは自然な反応だよね。