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「最後の授業」の話を百田氏がした


「最後の授業」の話を、百田氏がした。この話を知ってる人がどのくらいいいるのか、主人公の心理、そして置かれた状況のことを理解する人がどのくらいいるのかと思った。

この疑問を持った人は沢山いるみたいで、試験的に授業に取り入れてみたという報告もあった。

https://core.ac.uk/download/pdf/144254323.pdf

で、なんか検索の途中で意外なものも見つけた。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kwatanab/virt-S/ronjutsu1.htmhttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kwatanab/virt-S/ronjutsu1.htm

(フランス語は「人工言語」であり、いろんな論議がある中、こういう話が出てくるんだなぁ。知識の1つとして知ってた方が良いのかも)
 こっちに触れるのは大脱線になるので、後回し。

で、検索するうちに、「消えた『最後の授業』」という書籍が、出ていることも知った。ちょっとまぁ、脱線してしまおう。この短いPDFの最後の部分が興味深い。

https://www.naruto-u.ac.jp/_files/00065276/kieta.pdf

ここで書かれていることと似たような問題点を指摘しているのが次の動画。

「ここで作者が言いたいのは」の、問題

この動画の登場人物は、かのヘルパーさんと雰囲気が似ているのが面白い。マスクしてたので、素顔がわからないけど、物腰が似ている。

それはさておき、動画で問題にしているのは、戦後の教育の問題だろうと思う。
戦前と戦後では『教育内容に決定的な変化が起こっている」から。

戦前は、関ヶ原の合戦は何年の出来事だったのか? ということはそんなに問題ではなく、「自分だったらどういう戦略をとるのか? 考えてみよう」的な授業で、戦についての関心、戦略的思考を磨くといった面が重視されていたらしい。戦後は「ひたすら数字の暗記をさせ、テストする」内容に変えられている。これは「日本民族の『力の弱体化』が主眼」になっている。だから「学」力の弱体化も、「占領軍の目指すところ」なのだ。

私はそういう「深遠なる狙い」があったというのはあとになって知ったが、学生の頃、「ここで作者が言いたいのは」と言った『解説』だとか、まして、「この小説の(一部)を読んで、感想を書け」といった「出題と、その正解」が存在することに大きな疑問を持った。

小説の感想など、「読む側の心情は、その時その時に積んできた体験に大きく左右されるのではないか?」と思っていたので「正解」などが存在するわけがないと思っていた。

ところが、大人になって、特に大企業という所に出入りするようになって、「言われたこと以外するな」「言われたことをその通りにしろ」という「社会通念」が存在することに、改めて驚いた。

「○○長はなんと言った? そんなことしろとは言ってなかったぞ」みたいな会話が盛んにされるのだ。

「学校教育が始められた理由」というものも、最近知った。
日本国民の「国民の義務」というものは、「勤勉、勉強、納税」だというのは、社会科の時間に習った。守らなければ税務署に摘発され、バツが下される。勉強も拒否したら、少年革命家ゆだぽんのようになってしまうだろう。

少年革命家ゆだぽん

勤勉を守らないと・・・。これは今はなんとも言えない。「個人主義」は、昔は日本国の敵だったはずだ。だが今は、文化社会主義だかなんだかで、おかしくなっている。つまりは、日本国は負けてしまっているのだ。

まぁ、国家や政府が「世の流れ」に負けてしまって、まるでグローバル主義、グローバリスト天国になり掛かっている。
 底にブレーキをかけるのは、「国民一人一人の常識感」に掛かっている。
いまはまだ、東北大震災時に世界が驚いたという東北人の常識感、あれがのこっている(配給品を我先に奪い合わない日本人の民度の高さなど)。
いまバイトに行ってる先で見た、未成年が大人をリスペクトする心を体現しているところなど。

学校の教育が「改悪」されたまま76年くらい経ってるからなぁ。(これの典型な話は「黒塗り教科書」などとして、今語られてはいる)

負けっぱなし。少子化と所得が30年上がらずFIREなどが出てきちゃう日本。

最後の授業が教科書に採択され、『何を伝えていたか』の話はここでは全然出来なかった。教科書に採択してどう伝えるのか、「日本政府のやり方の話」になってしまった。


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