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特攻隊は、笑って離陸?


日本のサヨクはひどいなぁ。昔のことに関心があるとする。昔の兵隊さんが、昔話を語ってくれる動画があったりする。
 ところが、それらは殆どサヨクが塗り直した歴史。酷いことになっている。「兵器にされた若者」なんて調子の物もある。民放はもちろん、MHKもその調子。

なんとか、サヨクではない人物の手によるドキュメント番組に作り直して貰いたい。そうおもう。

いたいけな少年の笑顔

珍しく笑顔の少年飛行兵という動画。ところが中身がやっぱり昔のサヨク風味。
せっかくのドキュメントなのになぁ。

鹿児島に知覧という町があって、底は特攻の町として名が知れてる。濱島トメさんも、特攻の母というなで、知られている。

特攻の話に戻るけど、私がサヨクの影響がない話で特攻のことや戦争の事情などを知り直すうちに、実は、よく言われるように、悲惨でもの悲しい雰囲気ばかりではなかった事がわかった。

ざっと話すと、戦争を始めるに当たり、かなり科学的分析によって「計画」が建てられた。勝つ公算が大きい計画。これは英国、米国の研究者も日本は勝ててた、実際勝ってた、という話をする人もいる。
 ところが実際は、「やってはいけないシナリオ」をまんまと実行した人がいて、そのせいで負けてしまった。
 戦争途中から負け戦になってしまった。そのまま行けば負けることは予測が立てられていた。

で、日本兵のよく理解していた人? は、負けてしまうだろうと予測していたのだった。らしい。
 でも、日本は負けてしまったとして、500人だろうとも日本人が生き残ったとして、「こんなに勇敢果敢に戦った者たちがいる!!」ってことだけは語り継いで貰えば、必ずや日本国は復活を果たすだろうと信じることが出来ていたらしい。

実際にこういう話を誰かとしたとして、自分の奥さん、子供が今まさに敵に攻撃を受けて生死の境をさまようぞって場面になったとして、自分が体当たりで敵の戦艦に突っ込んでいくっしょ? って振ると、たいていの人は(話の持って生き方もあるけど)「俺は突っ込む」って言う人多数。

まぁ、そうやって突っ込むとして、それが生き残る子孫に語り継がれる存在になる。
そのように考えると、「納得して突っ込んでいったのだ」ということがわかってきた。

そして、英霊に。

あの世に行ってしまった先祖だけども、戦後の世界を見ずになくなっているのだ。今、日本が消滅せず、存続を果たしていることも知らないかもしれない。そして、卑劣なことに、大きく被害を被ってしまって、たいてい負け判定が出ておかしくないほどに痛手を受けていた米軍が、一切情報を出さずに戦闘を続けていたのだ。あと半年戦闘が続けば、米軍の方が自滅してたらしい。

私は、このあたりのことがわかった瞬間、体の中を熱い血潮がめぐるイメージがしてきて、体温が上がるのを実感した。

ただただもの悲しくて、もう二度富には来ないって思ってしまう知覧の特攻記念館だけど、私はもう一度行ってみたくなった。

この、続いている日本のことを、知らせてあげたいという気持ち。お化けでもかまわないから目の前に出てきて貰って、直接伝えたいわ、という気持ちになった。

ホントに知覧に出かけて、以前とは全く違った見方で、いろんな資料を見直した。

まぁ、そう言う経験もしました。真実を知ると言うことは大きい。

ついでに、濱島トメさんの話は、次に書きます。


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